自然環境とゲーム機で得た、現在に通じる「感覚」

暗い会場でVJとミュージシャンが機材を操作しながらパフォーマンスを披露する。背後の大型LEDスクリーンには、赤や青の光の粒が織りなす有機的な映像が広がり、音楽に合わせて複雑に動き回る。観客は前景にシルエットとして映し出され、まるで光の中に包み込まれるような臨場感が演出されているーー。
これは2023年に開催された「0 // Public Visuals Tokyo x TDSW」というオーディオビジュアルイベントで、薄葉さんがVJとして出演し、映像を担当したステージの一場面だ。
そんな薄葉さんの幼少期はどうだったのか。
薄葉:僕は神奈川県大和市の出身で、自然と住宅街が程よく混在したエリアに住んでいました。子どものころは父親と森に行ってザリガニ釣りをしたり、クワガタを捕まえたりして遊んでいましたね。自然の中で遊ぶことと同じくらい好きだったのは、ゲームです。最初に買ってもらったゲーム機はゲームボーイアドバンスで、ポケモンをよくやってましたね。小学校3年生ぐらいだったかな。そのあとPSPで『モンスターハンター』に夢中になり、友達と毎日集まって通信して遊んでました。
ここまでは「よくある話」かもしれない。だが、この話の続きに薄葉さんの現在地が垣間見えるようだ。
薄葉:当時はバグを利用してゲームの裏側に入り込む遊びが好きだったんです。結果的にそれが、3DCGやプログラミングに興味を持つ最初のきっかけになっていたように思います。それ以外にもゲームには、ユーザーに楽しく魅力的な体験を届けるためのエッセンスが詰まっている。その感覚は、今やっているARやインタラクティブコンテンツの開発にも直結していますね。
中学時代は野球部に所属していたが、バンドも好きで音楽にのめり込むようになった。
薄葉:野球部ではあったんですが、中学2年生の頃、ギターを買ったんです。RADWIMPSをコピーしたくて、初心者セットをお小遣いで買って練習していました。そんなに上手くはなれなかったけど、自分で音を鳴らす感覚がすごく新鮮でした。
高校では野球は ケガをきっかけに本格的に続けることを断念。軽音楽部に入り、コピーバンドを組んで活動。やがて「自分の作ったもので生きていきたい」という漠然とした想いが芽生えたという。
薄葉:高校3年生の頃から、自分の作ったもので生活していきたいと思うようになったんです。作曲などはその頃からかじっていましたが、当時はまだ「これだ」という道が決まっていたわけじゃなかった。だから、専門学校で音楽だけを学ぶよりも、いろんな表現を学べる大学に進もうと考えたんです。
東京工芸大学インタラクティブメディア(IM)学科を選んだ理由も、音楽だけにとどまらない幅広い表現に触れられる環境だったからだ。
薄葉:IM学科は音楽だけじゃなく、CGや映像、プログラムまで幅広く学べるんですよね。「音楽を学びつつ、他のこともできる」というのがすごく魅力的でした。