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第6回 映像ディレクター

松井 久美 まつい くみ

1985年、東京都生まれ。2008年に東京都立工芸高等学校デザイン科を卒業後、東京工芸大学芸術学部アニメーション学科に入学。東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻などを経て、2012年にファンワークスに入社。アニメ『がんばれ!ルルロロ』や映画『すみっコぐらし』シリーズの制作を担当。制作関係動画の一覧はこちら

マニアックなアニメ好き高校生が
大ヒット映画の制作に至るまで

チェコのアニメに衝撃を受けた高校生時代

世界でも有数の「アニメ大国」と呼ばれるこの国で、アニメーションの仕事を志すのは自然なことだ。映像ディレクターの松井久美さんもそんな一人だ、と言いたいところだが、話を聞くとどうも勝手が違う。

チェコのアートアニメーションとの出会いから物語が始まるからだ。

松井:アートアニメーションには、原作やキャラクターがあらかじめ存在するのではなく、作家独自の世界観が表現されているんです。風刺だったり、時にはグロテスクだったりと表現に富んでいて、話が難解なものも多い。難解に見えて単純なものもありますし、子供向けの作品もあります。ただ、あまり一般ウケはしないし、そういう作品を好む人も周りにいませんでした(笑)。

感銘を受けたのは、立体のコマ撮りなどの表現手法です。アニメは日本だけじゃないと気づきましたし、私も制作したいと思うようになりました。そこからレンタル店に通い、御茶ノ水にあるマニアックな店にも行きました。高校生には怖い感じのお店でしたが(笑)。インターネットなどで調べながら、独学でアニメーションを作るようになりました。

衝撃を受けたのがヤン・シュヴァンクマイエル(1934〜)の作品だった。なかでも印象深かったのは長編アニメ『アリス』(1988年)。

松井:原作は『不思議の国のアリス』です、実写を交えながらシーンがコマ撮りされています。たとえば、アリスがウサギを追いかけるシーンで、使われているのは剥製のウサギ。胸元から懐中時計を取り出すときに、お腹に詰まったオガ屑が出てしまうのですが、自分で拭き取って時計を見る。ファンタジーと現実をミックスするような表現に驚きました。

2004年、東京工芸大学芸術学部アニメーション学科に入学するのだが、当初は同級生との志向の違いに戸惑いもあったようだ。

松井:でも、工芸大へ来て良かったと思いました。当時の厚木キャンパスでは、実習室の名前にアートアニメーションの作家の名が冠されていたんです。先生たちが目指すところはアートアニメーションを礎にしているんだと感じて、すごく心強かったです。カリキュラムも幅広くて、作品もたくさん見られましたし、コマ撮りやクレイ(粘土)、切り紙を使った表現技法を講義で学べました。さらに同級生から自主グループ制作を誘ってもらうなど、作画アニメにも興味が湧き、結果的にアニメーション制作の手法を一通り経験ができました。

そして迎えた卒業制作のタイミング。壁にぶつかった。

松井:自分の作家性をどう表現しようかと企画段階でかなり悩みました。そこでわかったんです。私はお話を作るのが苦手なんだ、と。

そこで目をつけたのが、宮沢賢治の「やまなし」。自然の美しさと厳しさをテーマにした短編小説の映像化を考えたのだ。独特の擬音が気に入ったという。

5分程度の短編映像は「切り紙アニメーション」で制作された。

松井:水彩紙で関節ごとに描き、切り分けたパーツの裏側に針金を仕込み、カニが動くようにしました。背景には濃淡のある水彩画。カニを少しずつ動かしたり、背景を差し替えたりしながら地道に写真を撮るんです。作画を使ったアニメーションだと、1秒に12枚も絵が必要になるうえ、テレビアニメのような仕上がりになりがちなので、ここでは質感を重視して切り紙を選びました。

この作品は卒業制作の優秀作品の一つとして上映されるなど、校内で高い評価を得た。

「出会いに恵まれていて、いただいたお話に『やってみるか』と乗ってきたんですよね」と話す松井さん
「出会いに恵まれていて、いただいたお話に『やってみるか』と乗ってきたんですよね」と話す松井さん

恩師や同級生との縁が導いたアニメの道

卒業制作のかたわら、就職活動に踏み出したものの「ピンと来なかった」。そんな矢先、松井さんは恩師の助言で東京藝術大学大学院映像研究科へ進む。

松井:当時教授だった古川タク先生から藝大の大学院にアニメーション専攻が設立されることを聞き、「行ってみたら」と言われたんです。大学院なんて全然想像してなかったんですけど、「先生も応援してくれてる」と言って親にも納得してもらいました(笑)。

一番刺激的だったのが、年齢も経歴も様々な同級生たちだったという。

松井:その一人が短編アニメーションの作家さんで、私が工芸大の頃からファンだったんです。刺激的でシニカルで、映画祭でたびたび受賞している方でした。他にも、一度就職して社会経験を得てから入学された方も多く、いろいろなことを教えていただきました。

大学院在学中に前出の作家を通じて制作を手伝ったことが縁で、プロデューサーに誘われて制作会社に就職。ゲームのイラストの制作を手がけるものの、アニメーションへの思いを断ち切れず、フリーランスに。その間は工芸大アニメーション学科の同級生からMV(ミュージックビデオ)の制作を依頼されたという。

そんな矢先、松井さんに「人材募集」の話が舞い込んできた。新作アニメを制作するためにスタッフを募集していると、藝大大学院の先生から紹介があったのだ。

松井:概要を聞いて業務委託で受けようと思っていたのですが、面接で「スタッフたちをまとめる代表者として入ってくれないか」という話をいただいたんです。「そうなんですか」という感じで出社し、作業し、監督の隣に座り……と話が進んで今に至っています(笑)。

その会社こそが現在の勤務先、ファンワークスだった。

松井さんが作画で参加した絵本『ルルロロのてあらい大好き』
松井さんが作画で参加した絵本『ルルロロのてあらい大好き』

「作品の全体像を見渡せる」クリエイターに

ファンワークスに入社した2012年、NHK Eテレで放送されたアニメ『がんばれ!ルルロロ』の制作に参加した。

松井:最初は背景のレイアウトを描くだけの作業だったのですが、監督や美術監督から「これもやってみる?」と言っていただき、挿絵風イラストや小物デザイン、絵コンテを担当するようになり、結局は作品全体を見ることになりました。

絵コンテは映像作品の制作時に使われる設計資料。完成予想図を共有するための要だ。制限時間内にシナリオを展開し、カット割りや音響のタイミングなどを考えねばならない。

松井:「5分で話が収まるか」「演技としてどんな感情が必要か」などの課題は録音することでわかることも多いので、なるべく具体化してスタッフの皆さんにお渡ししたい。そこでシナリオを使って仮の映像を作り、仮の音声を入れたり、絵も描いたりして絵コンテを作ります。それを軸にして担当の方が作画されるんです。

 プロデューサーさんや原作者の方との関わりを通じて、絵コンテ、音、タイミング、宣伝やプロモーションなど様々な要素が関わって作品が生まれることを再確認しました。いい作品に仕上げるためには、全体像を見ることが重要なんですよね。

そのせいか、たまに「プロデューサーになったんですか?」と冗談混じりで言われることもあるそうだが、心の中では「クリエイターなんですけど」とつぶやいているという。

実際、松井さんは絵本の作画も担当している。『がんばれ!ルルロロ』シリーズの原作者・あいはらひろゆきさんから依頼され、絵本『がんばれ!ルルロロ パパ大好き』(2015年刊行)で表紙を担当。2020年刊行の絵本『ルルロロのてあらい大好き』では本編の作画・清書を担ったのだ。

今回の記事で紹介した作品。もちろん手がけたのはこれだけではない
今回の記事で紹介した作品。もちろん手がけたのはこれだけではない

大ヒット映画「すみっコぐらし」誕生秘話

そんな松井さんが人生初の映画制作に関わったのが、2019年公開の『映画 すみっコぐらし  とびだす絵本とひみつのコ』だ。

松井:原作を映画化するにあたり、原作者のよこみぞゆりさんと入念に話し合い、映画化するにあたっての注意点はもちろん、絵本やグッズの表現と「どう差をつけ、どう同じように作るのか」というバランスを探らないといけないんです。そこでアニメーション用のキャラクターのデザインから関わらせていただきました。

「どう差をつけ、どう同じように作る」とは?

松井:絵本はよこみぞさんの手描きで、鉛筆タッチの柔らかい質感が特徴です。しかし、アニメーションは1秒に12枚の絵が必要で、60分間の映像にするには膨大すぎる作業となってしまいます。手描きの質感を完璧に再現するのは制作期間や公開時期を考えても難しいのですが、ファンはやはり「すみっコぐらし」が見たい。原作のアイデンティティを崩さないための表現方法を探る作業なんです。

難題はほかにもあった。

松井:「すみっコぐらし」のキャラクターたちは声を発さずに、テロップ文字で自分たちの気持ちを表しています。自分で映像コンテを作ってみたのですが、セリフとしての音声がないと作品世界の中に自然と入ることが出来ず、キャラクターの感情もスムーズに伝わってこないというか。そこでナレーションの力を借りて、キャラクターを見守る演出も追加することになりました。世界観を崩さないように行動を説明してあげる役割です。

 おかげさまで予想以上の大ヒットとなりました。子供向けに制作したはずが、大人の方にもかなり見ていただいたんです。「予想外の結末なので見たほうがいい」と評判でした。そのまま2作目、3作目もヒットを続け、その度に制作に関わらせていただけたのはとても光栄なことでした。

ところで、クリエイターとプロデューサーは時に相反しかねない役割でもあるが、なぜ同時に担えるのか。松井さんは「熱中しすぎないようにしているかもしれない」と言う。

松井:学生時代は「自分は作家性が薄い」とか「独自性や圧倒的な表現力があまりない」と悩んでいましたが、社会に出て視聴者からの見え方をかなり意識するようになりました。振り返ると、高校でデザイン科だったことは大きいかもしれません。デザインは使う人のことを意識しないといけないので。

そんな松井さんのこれからやりたいことはーー。

松井:かわいい系のキャラクターのアニメーションに、自分がやってきたアートアニメーションの新しい技法やアイデンティティを潜ませて、より新しい表現を探ってみたいですね。アニメーションはチーム制作。それぞれのアイディアを混ぜて、新しい作品が作れたらいいなと思っています。

文:佐々木 広人
写真:影山 あやの

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