祖父は「やまびこ打線」を率いた甲子園の名将
徳島県池田町(現在は三好市)生まれで、姓は「蔦」ーー。
高校野球ファン歴の長い方なら、思い出すのは蔦文也監督のことだろう。徳島県立池田高校野球部の監督として1980年代に甲子園で優勝3回、準優勝2回を果たした名将。猛打を誇る「やまびこ打線」を率いた「攻めダルマ」の愛称で知られている。
蔦哲一朗氏は孫にあたる。池田高校に進んだが、野球とは縁がなかった。Jリーグブームに沸く中、自然にサッカーへ進んだのだ。
蔦:小学校から高校まで、ずっとサッカーをやっていました。大学でも一応続けていて、ポジションはフォワード。もうとにかく点を取ることだけ考えてて(笑)。
高校卒業と同時に上京。東京工芸大学の映像学科に進学したのだが、最初から映画監督を目指していたわけではなかった。
蔦:映画はテレビで作品を見ていた程度で、東京に来てようやく初めて黒澤明やチャップリンの作品をちゃんと見た感じです。最初はアニメーション学科に入りたかったんです。ジブリ作品が好きで、監督の高畑勲さんが教えていると聞いていたので。受験したんですけど、落ちてしまい、映像学科に進みました(笑) 。
