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国内外で活躍する卒業生たちを追った連続インタビュー企画。第4回は映像学科卒業生でテレビ番組ディレクターの西崎真奈さん。 映画監督を夢見た学生が人気ドキュメンタリー番組の演出を務めるまでの足取りを追った。

国内外で活躍する卒業生たちを追った連続インタビュー企画。第4回は映像学科卒業生でテレビ番組ディレクターの西崎真奈さん。 映画監督を夢見た学生が人気ドキュメンタリー番組の演出を務めるまでの足取りを追った。

第4回 テレビ番組ディレクター

西崎 真奈 にしざき まな

1983年生まれ。埼玉県出身。2007年に東京工芸大学芸術学部 映像学科を卒業後、番組制作の株式会社いまじんに入社。2014年には「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ系)の「世界一寒い村へGO!」で第31回ATP賞テレビグランプリ新人賞を受賞。 現在は制作部チーフディレクター。人気ドキュメンタリー番組の演出も手がける。
※「崎」は正確には「たつさき:立+可」。

「世界一寒い村」から「情熱大陸」へ
人気番組ディレクターの制作奮戦記

過去の制作経験が結実した「情熱大陸」の演出

<それでも赤ちゃんが欲しい 不妊に悩む人々“最後の砦”>

これは2024年8月11日放送のテレビ番組「情熱大陸」(MBS系)のタイトルだ。不妊治療の最前線で奔走する産婦人科医を追ったドキュメンタリー。番組のエンドロールの冒頭に、演出を務めた西崎真奈さん(41)の名前がある。

「すごくないですか!?」と笑う西崎さんだが、番組テーマは不妊治療で、密着取材の対象は医師と患者。しかも、取材から放送まで半年間という長丁場だ。放送まで相当な苦労があったことは容易に想像できるだろう。

「情熱大陸」の演出は今回が初めてだったという。

西崎:これまでずっとバラエティー番組や、情報番組の再現ドラマの制作を担当することが多かったんですよ。でも、映像編集の段階で過去の制作経験が生きてくるんです。例えば不妊治療がうまくいかなかった女性がいたとします。「悲しいです」というセリフで表現するのか、歩く後ろ姿にするのか、あるいは空の雨模様にするのか。すべてを言葉で語らせるか否かっていう点は、ドラマでも同じところがあるんですよね。

私はもともと映画監督志望でした。それがバラエティー番組のAD(アシスタント・ディレクター)になり、事件などの再現ドラマの制作ディレクターになった……そうした経験があれこれつながって、今回の「情熱大陸」の演出に至ったんじゃないかと思うんです。

番組制作会社を選んだ理由と意外な「縁」

西崎さんが東京工芸大学に入学したのは2003年。映画制作を夢見て映像学科に飛び込んだ。志したきっかけは岩井俊二監督の映画「スワロウテイル」。持病の喘息が悪化して高校をしばらく休んだ際、自宅で見た映像に惹かれ、感銘を受けたという。

西崎:漠然と映画監督になりたい、映画を作りたいなと思っていた程度です。実際、入学してみたら映像にもたくさんの種類があることを知って驚きました(笑)。

当時、映像学科の1、2年次のキャンパスがあったのは神奈川県厚木市。埼玉県内にある西崎さんの自宅からは電車とバスで片道3時間もかかった。サークル活動をする余裕もなく、講義後はすぐに帰宅するか、地元でアルバイトをする毎日だったが、3年生になって東京都中野区のキャンパスに通い出すと生活は一変。映画研究室に所属して約20人の仲間と映像作品の自主制作に励んだ。

西崎:毎年、みんなで15〜20分ぐらいの短編映画を作るんです。全員で脚本を出し合って、選ばれた人が監督になり、それ以外の作業をみんなで分担する……いい仲間にも巡り会えてすごく楽しかったですね。私が担当したのは録音。現場で音を拾い、編集するんです。、効果音も作りました。4年生の時にゾンビ映画を撮影した際は、音をいろいろ試しながら「人肉を貪る音」とか(笑)。

大学以外でも大手映画会社の撮影所でインターン生として働くなど、映画制作の現場に関わり続けた。

だが、就職先として映画の道を選ばなかった。

西崎:映画はフリーランスの方々で支えられている世界なんです。映像の制作がしたくてもキャリアがない。結局、映画もテレビ番組も作る制作会社を探し、見つけたのが現在の会社(株式会社いまじん)でした。

実はその会社とは学生時代に「縁」があった。

西崎:大学時代、演出の方が大学に講演に来てくれたことがあったんです。当時「中井正広のブラックバラエティ」(日本テレビ系、通称:黒バラ)の演出をしていた方でした。私は番組の大ファンで、ディレクターが持ってきた「石のキャラクター」を見て「写真を撮っていいですか?」と聞いたら、キャラクターをもらえたんです。でも、カバンに入らなくて、はみ出したまま電車で自宅まで帰ったんですよ(笑)。

そんな縁にも導かれたのか、入社して初めて担当した番組は「黒バラ」だった。

西崎:最初の仕事はリサーチでした。遊園地などにあるパンダの乗り物にスタジオでタレントたちが乗ると言うので、どこでいくらで借りれるのかを調べ、ロケハンに行きましたね。あとはサブ出し用(番組中に使うVTR)の取材とかに付いていくとか。

「黒バラ」ではスタジオでの仕込みが多かったのですが、当日になっていろいろと変わるんです。そのたびに撮影当日に材料を求めて走り回り、スタジオの隣の料理店に「どんぐりはありますか?」と聞きに行ったこともありました(笑)。

一方で、めげそうになったことも多かったようだ。

西崎:最初の頃はなかなか帰れないし、やっぱり嫌だなと思いました。終電を逃して深夜バスに乗ると家に着くのが夜3時。帰れないときは、夜な夜な会社の近くを泣きながら徘徊したこともありました。

でも、不思議とだんだん流せるようになるんですよね。収録が終わったり、無事放送に至ったりすることで、達成感が得られるというか。いろんなものがそぎ落とされて、本当に大切なものがわかってきて、うまく流せるようになったというか。「怒られたって別にちゃんと生きてる」と思って、開き直っていけたのかもしれません。

「もともと生真面目な性格で、予定が急に変わるのは苦手だったんです」と話す西崎さん。番組内容の急な変更には苦労したようで......
「もともと生真面目な性格で、予定が急に変わるのは苦手だったんです」と話す西崎さん。番組内容の急な変更には苦労したようで......

制作のプロが認めた「世界一寒い村」密着

まるで「生きてるだけで丸儲け」のような境地。ここに西崎さんがたどり着いたと思われるエピソードがある。「世界一寒い村」として知られる、ロシア極東・サハ共和国のオイミャコン村。1933年にマイナス71.2度を記録したこの村で、西崎さんは「ザ!世界仰天ニュース 」(日本テレビ系)のロケ取材を敢行した。

ところがーー。

西崎:来る日も来る日も気温がマイナス50度から下がらないんですよ(笑)。日本のスタッフと相談したくても、通信手段は大きな衛星電話だけ。通話料金がとても高いし、逐一報告できる環境ではありません。私もディレクターになりたてで、その状況を面白がる余裕がなくて、「どうしよう、思ったより寒くない」って。実際は寒いんですけど。

同行するADに涙を見られたくないから外で電話するのですが、まつ毛は凍るし、一気に息を吸ったら肺がダメになると言われるし……とりあえず撮るだけ撮って帰ってきたんですけど、帰国後のほうが地獄でした。編集で帰れない、寝れない、怒られる、悩む、みたいな。マイナス50度の生活のほうがまだ幸せに思えました(笑)。

このドキュメンタリーは2014年、第31回ATP賞テレビグランプリ新人賞を受賞した。翔の主催は全日本番組製作社連盟。つまり、番組制作のプロから功績を認められた格好だ。

西崎:村までの道中の面白さもあったと思います。ロシア入国から村に行くまでに車で3日かかるんです。車のエンジンが止まったら凍え死ぬので2台体制なのですが、待てど暮らせど2台目が来なかったこともありました。車内は暖房が入っているのに、人間が凍りそうなほど窓際が寒いんです。

車中でもオイミャコン村でも困ったのはトイレです。「どこでもいいよ」と言われて外に行くのですが、マイナス50度でお尻を出すのも大変なのに、用を足すとどこからか野犬の群れが集まってくるんですよ(笑)。これはなかなか過酷でした。

2014年、番組取材で訪れた「世界一寒い村」のロケ中、犬と戯れる西崎さん。「作業の際に手袋を外したときに、一瞬指の色が戻らなくなり、焦りました。凍傷になったかと思いました」(写真提供:西崎さん)
2014年、番組取材で訪れた「世界一寒い村」のロケ中、犬と戯れる西崎さん。「作業の際に手袋を外したときに、一瞬指の色が戻らなくなり、焦りました。凍傷になったかと思いました」(写真提供:西崎さん)

お互い倒れても「カメラを止めるな」

その後、西崎さんは「世界で一番暑いところ」を目指してアフリカにも上陸。気温50度を超えるエチオピア北東部のダナキルのほか、ジブチ、両国境にあるアファールなどを取材し、治安の悪いところも数多く経験した。

西崎:村には電気通ってないから、どこに行っても暑い。撮影後も「お疲れ様じゃない状態」が続いて、結局、外のほうが涼しいからベッドを外に出して寝るんです。トイレも「青空トイレ」。でも、砂漠だと雪もないから隠れられない(笑)。私は熱中症で倒れましたが、その様子も撮りました。スタッフと事前に「お互い倒れてもカメラを回しましょう」と約束していたので。

そういう経験をしたからメンタルが強くなったのかもしれませんね。だって、東京でどんなに偉い人に怒られたって、家があり、水や食べ物があり、風呂もトイレもありますから。

西崎さんの「主戦場」は情報番組の再現ドラマやドキュメンタリーへと移ったが、チーフディレクターとして今なお制作の最前線にいる。

西崎:再現ドラマはテレビドラマより制作予算が少ないですが、取材内容を含め、高いクオリティが求められます。先日、薬害エイズ事件の被害者にお会いしました。幼少期のことや、お母様がどう戦われてきたかについて、アーカイブ映像を織り交ぜながら再現ドラマを作りました。おかげさまですごく反響がありました。和解成立が1996年なので、若い世代はリアルに知らないんですよね。でも、こうした出来事を後世にちゃんと伝えることは、すごく大事なことだと思っています。

実はずっとディレクターをやる人はあまりいないんですよ。体力的にいつまでできるか不安になることもあります。でも、だからこそできるうちに、やりたいことはすべてやっておきたいですね。

日本テレビ「ザ!世界仰天ニュース」の再現ドラマのロケでフィリピンへ(2019年)。女性2人は現地でオーディションした俳優。西崎さん(写真奥)の演技指導を現地の男性コーディネーターが通訳している(写真提供:西崎さん)
日本テレビ「ザ!世界仰天ニュース」の再現ドラマのロケでフィリピンへ(2019年)。女性2人は現地でオーディションした俳優。西崎さん(写真奥)の演技指導を現地の男性コーディネーターが通訳している(写真提供:西崎さん)

文:佐々木広人
撮影:影山あやの

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