高校時代にマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットの短編アニメーション「岸辺のふたり」と出会い、「アニメには言葉を超える力がある」と実感した久保さんは、迷わずアニメーションを専門的に学べる東京工芸大学を選んだ。工芸大のカリキュラムでは、実写やCGなど多様な手法に触れられるが、惹かれたのは手描きによる表現だった。
久保:CGにも挑戦したけれど、やっぱり手で描いたときの感触が自分に合っていたんです。鉛筆の線のかすれとか、インクのにじみが持っている偶然性に惹かれました。意図して描いたもの以上に、偶発的に生まれる線におもしろ味があるような気がして。
一方、米谷さんはオープンキャンパスでアニメーション制作体験に感銘を受けて、東京工芸大進学を決意する。
米谷:テレビアニメの作り方を学ぶと思っていたので、「自分ひとりで物語を考え、作画し、音もつけて一本の作品を完成させる」という制作スタイルに驚きました。そこからは自分の中にあるものをどう引き出して、どう表現するかを考え抜く時間が増え、「何を描くか」「なぜ動かすのか」といった表現の本質に意識が向くようになりました。
米谷さんから見た久保さんは。「アナログで勢いのある絵を描いていて、ゼミの発表や展示のときにも一目置かれていた印象」だったという。
久保:僕は彼女の作品が印象に残っていて、パステルを使った絵に柔らかさと芯の強さを感じました。紙に色鉛筆やパステルで丁寧に描かれていて、綺麗な絵だな、と気になっていましたね。
ここから二人は「手描き」というアナログ的な制作志向や美意識に共鳴するようになる。アニメーション作家でもある古川タク先生(当時)の研究室に所属。互いの制作の話をすることで、理解が深まった。
在学中、久保さんには「作品を人に見せること」を意識する出来事があった。
久保:大学2年の時、フランスのアヌシー国際アニメーション映画祭に観客として行ったんです。そこで、作家としてステージに立つ日本人の姿を見て、「自分もここに立ちたい」と強く思いました。映画祭は作品が人と人を結びつけてくれる場所であり、作品は自分をいろいろな所に連れて行ってくれるという感覚を強く抱くようになりました。
二人は東京工芸大学卒業後、東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻に進学。工芸大では「手で描くこと」を起点に表現を探っていた二人だが、藝大ではより構造的なアプローチが求められた。
久保:音楽構造をアニメーションに置き換える研究をしていました。反復や対比、展開といった音楽の語法を、映像の時間軸に活かせないかと。自分の頭の中では完璧な設計だったのに、実際に作ってみたら全然伝わらない(笑)。そのギャップに打ちのめされましたけど、そういう失敗から学ぶことも多かったです。
米谷:私は自分の「らしさ」をもっと探りたくて進学しました。講義ではコンセプトを言語化することも多くて、内省する時間が増えた気がします。
大学院修了後、二人はいったん別々の道を歩んだ。久保さんはフリーランスで制作を続け、米谷さんは短期間ながら企業に就職したこともあった。
米谷:就職してみたことで、自分にとって「描く」ことがどれだけ大事だったかを再確認できました。久保が声をかけてくれたこともあり、フリーランスという形でアニメーション制作に取り組むこととなりました。
久保さんが声をかけた理由の一つは、米谷さんの「描く速さ」や「表現力」はもちろんだが、これまでのアニメーションを学んできたバックボーンの部分や、互いに多くの世界のアニメーションを見て学んできた分、共通言語のようなものへの理解があり、ストレスなく制作をする事ができたからだ。