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国内外のアートシーンで活躍する卒業生たちを追う連続インタビュー企画。第14回は写真学科卒業生の写真家・植田朝子さんだ。初心者から始まった学生時代の写真活動から、家業の写真館を継ぎ、権威あるコンテストで金賞を受賞するまでの経緯を聞いた。

国内外のアートシーンで活躍する卒業生たちを追う連続インタビュー企画。第14回は写真学科卒業生の写真家・植田朝子さんだ。初心者から始まった学生時代の写真活動から、家業の写真館を継ぎ、権威あるコンテストで金賞を受賞するまでの経緯を聞いた。

第14回 写真家

植田朝子 うえだ あさこ

1976年、栃木県生まれ。1998年、東京工芸大学芸術学部写真学科卒業。都内の写真館での修行を経て、家業である「フォトスタジオ久良多」の3代目として活動。富士フイルム営業写真コンテストにて2023年に銀賞、2024年に金賞を受賞。夫婦で営むスタジオから、地域に根ざした「一生の宝物」となる写真を届け続けている。

「驚き」の1枚を届けたい
街の写真館が紡ぐ家族の物語

撮影の基礎から「芸術に正解はない」まで

フォトスタジオ久良多の前で。バリエーション豊かな作品が店頭を飾る
フォトスタジオ久良多の前で。バリエーション豊かな作品が店頭を飾る

世界遺産「日光の社寺」と門前町を貫く日光街道。東武日光駅の辺りから日光東照宮に向かって緩やかな坂道を上ると、風情のある木造建築の建物の前で、行き交う観光客の群れが足を止めている。

土産物店や寺院ではない。フォトスタジオ久良多。そこは「街の写真館」である。

ここで3代目として活動しているのが写真家・植田朝子さんだ。

栃木県日光市で祖父が創業したのは1945年。

植田:もともとはフィルムの卸業や現像、カメラ機材の販売がメインの「街の写真屋」だったんです。父の代は、観光地という土地柄もあって「写ルンです」が爆発的に売れた時代でした。

生まれた時からカメラやフィルムに囲まれてきましたが、実は自分自身が本格的に写真を撮るようになったのは、大学に入ってから。それまでは、遠足や修学旅行にコンパクトカメラを持っていく程度の普通の学生でした。

植田さんの運命を大きく変えたのは、高校生の時に宇都宮市文化会館で観た、伝説のバンド「THE BLUE HEARTS」のライブだった。ステージから放たれる圧倒的な熱量とメッセージ。その衝撃が「表現」への渇望を呼び覚ましたという。

植田:とにかく衝撃的でした。ステージ上の彼らが音楽で私を元気づけ、勇気づけ、幸せにしてくれたように、私も何かを表現することで人を喜ばせたい。それが仕事になったらどんなにいいだろう、と強く思ったんです。

自分には何ができるだろうと考えた時、身近にあったのが写真でした。16歳の時に芽生えた「写真で自分を表現し、人を喜ばせたい」という想いだけを抱えて、東京工芸大学の門を叩くことに決めたんです。

1994年、東京工芸大学は4年制大学へと移行した。植田さんはその1期生。撮影の基礎知識すらあやふやな状態からのスタートだったが、厚木キャンパスでの日々は感性を激しく揺さぶったようだ。

植田:大学での講義は、すべてが初めての経験でした。現像一つとっても、印画紙からスッと写真が浮き上がってきた時のあのワクワク感。「自分の中から何かが生まれた」という感動は、今でも鮮明に思い出せます。

特に印象に残っているのは、芸術には「正解がない」という学びでした。抽象的なテーマを与えられ、自分で考え、自分の中の表現を形にする。そのプロセス自体が大切なんだと。写真の予備知識がなかったぶん、真っ白な状態で先生方の言葉を吸収できたのは、私にとって幸運だったのかもしれません。

師から授かった言葉で葛藤を乗り越えて

「1枚の写真」に込める思いを語る植田さん。スマホで気軽に撮影できる時代だからこそ、その言葉は重く響く
「1枚の写真」に込める思いを語る植田さん。スマホで気軽に撮影できる時代だからこそ、その言葉は重く響く

ただ、植田さんが家業を継ぐという選択は、決して既定路線ではなかった。その考えを変えたのは、大学で出会った親友の存在。その友人の実家は老舗の写真館だったという。

植田:大学生活の4年間、その親友と多くの時間を過ごす中で、彼女の父親が撮る写真の素晴らしさや、写真館という仕事の奥深さを繰り返し耳にしました。彼女の話を通じて、次第に写真館という場所に強い憧れを抱くようになったんです。

それまでは「実家の商売」と見ていた写真館が、人を幸せにし、記憶を形にする素晴らしい表現の場であることに気づかされました。大学を卒業したら外の世界でしっかり修行を積み、いつか地元・日光に戻って、自分の手でお店を本格的な撮影スタジオへと生まれ変わらせたい。そんな明確な夢が自分の中に芽生えたのは、間違いなくあの4年間の交流があったからこそだと思います。

植田さんは大学卒業後、東京・北千住にある老舗の写真館で、アシスタントとして3年間の修行に入った。そこで目の当たりにしたのは、大学で学んだ「表現」とは対極にある、プロの「営業写真」の世界だった。

植田:修行時代は、大学で学んだ「自己表現」と、お客様のニーズに応える「写真」との狭間で、どこまで自分を出していいのか深く悩みました。お金をいただいて撮る以上、お客様の満足が第一。その中で自分の個性をどう位置づけるべきか、ずっと葛藤していました。

その葛藤を乗り越えられたのは、二人の師の言葉がきっかけだった。一人目は、大阪でスタジオを構えていた写真家の辻文作さん。植田さんは2カ月に1回、大阪まで通ったという。

植田:辻先生は、「写真は何を感じ、どう表現するかが大事。それがテーマになり、そのための技術(光、構図、調子)がある」と教えてくれました。自分が「こう撮りたい」と感じることこそがテーマであり、それはお客様の満足と決して対立するものではない、と。この教えでようやく「自分を表現していいんだ」と吹っ切ることができました。

そしてもう一人は、写真家の柳下勉さん。柳下さんから届いた一通のハガキが、植田さんの決定的な指針となった。綴られていたのは「誰もがみんな驚きたがっている」という言葉だった。

植田:いただいた時、ハッとしました。お客様は、自分たちでは撮れないような写真、見たこともない自分たちの姿に驚きたくて、期待を持って写真館に来るんですよね。私たちがすべきことは、ただ記録することではなく、プロの技術でお客様の想像を超える「驚き」を提供することなのだと理解しました。

「自分が感じたことを表現すること」と「お客様を驚かせること」。この二つの言葉が、現在の植田さんの指針となっている。

「家族の物語」は撮影前から始まっている

2023年の富士フイルム営業写真コンテストで銀賞を受賞した作品「夫婦の肖像」(写真上)と、2024年に金賞を受賞した作品「祝 金婚式!」(写真提供:植田朝子さん)

 

日光に戻った植田さんは3代目として家業を継承。2010年には店舗をモダンなスタジオへと建て替え、家業も本格的な「撮影スタジオ」へと鞍替えした。

植田:建て替えをした15年前は、スマートフォンが普及し始めた時期でした。誰でも手軽に写真が撮れる時代に、わざわざ写真館に来ていただく価値とは何か。それを問い直した結果が、現在のスタジオの形です。

特筆すべきは、植田さんの撮影スタイルだ。かつて瓦職人だった夫も、今では撮影の現場を支える不可欠なパートナーとなっている。

植田:実は今、夫と二人で撮影をしているんです。二人で交互にシャッターを切るのですが、これが意外と良い効果を生んでいます(笑)。夫が撮っている時に私が違う角度からアプローチしたり、その逆をしたり。そうすることで、お客様の緊張がほぐれ、スタジオ全体が一種のライブ会場のような、楽しい共同作業の場になっていくんです。

もちろん「撮る」だけでは終わらない。

写真選びこそ客に任せるが、写真の並びやプリント、フォトブックのデザインなどの「見せる(魅せる)」ことへのこだわりに関しては、プロとして決して妥協しない。それこそ客を巻き込んだ共同作業になる。今やWEBで写真をアップロードするだけで写真アルバムを自動生成できる時代だが、そこにはアルゴリズムでは測れない「熱量」がある。

そうした取り組みは公の場でも高い評価を受けた。1960年から毎年開催されている「富士フイルム営業写真コンテスト」。プロカメラマンを対象とした日本最大級の写真コンテストで、植田さんは2023年に作品「夫婦の肖像」で銀賞を、2024年には「祝 金婚式!」で金賞を受賞するに至った。

植田さんの写真は、単なる記念撮影の枠を超えた「物語」を感じさせる。金賞を受賞した「祝 金婚式!」は、まさにその真骨頂だ。そこに写っているのは、型にはまった静かな夫婦ではなく、鮮やかなファッションに身を包み、弾けるような笑顔を見せる二人だ。

植田:このお二人だからこそ撮れた写真ですが、実は撮影に来る前から物語は始まっているんです。「おそろいのTシャツとジーンズで行こう」と相談したり、日光の街を家族で歩いたり。撮影中の笑い声や、終わった後の「楽しかったね」という会話。そのすべての記憶が、仕上がった1枚の中に凝縮されています。

写真は一瞬を切り取ったものですが、それを見返すことで、その前後の何時間、何日間という家族の幸せな記憶が、鮮明に呼び覚まされるものだと思うんです。

未来へ繋ぐ「人生の肖像」と写真の価値

学生時代、講義で撮影した写真のファイル。植田さんの学びの軌跡でもある
学生時代、講義で撮影した写真のファイル。植田さんの学びの軌跡でもある

植田さんは今、新たな領域にも目を向けている。それは、人生の円熟期を迎えた人々のポートレート、いわゆる「シニアの肖像」だ。

植田:その方の人生が滲み出るような、美しい肖像をもっと撮っていきたいですね。施設やご自宅に出向いて、その方が一番自分らしくいられる場所で撮る。そんな活動を、これからもっと広げていきたいと考えています。

取材時に植田さんが見せてくれたのは、大切に保管している大学時代の卒業アルバム。そこには、当時の自身の悩みや、友人と過ごした空気感がそのまま閉じ込められている。

植田:写真には不思議な力がありますよね。1枚の写真が、失われゆく時間を繋ぎ止め、未来の自分や家族を幸せにしてくれると思います。

「驚かせたい」という気持ちと、高校時代にライブで感じた「人を幸せにする表現」の衝動は、日光のスタジオで1枚の写真となって結実している。

店頭で作品が並ぶ写真館の前で、観光客の群れが目を向け、時に足を止めるーー取材中も幾度となくあったこのシーンが、その結実を雄弁に物語っている。

取材・文:佐々木広人
撮影:小宮広嗣

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